~ 9/28 読書会開催記録 ~

しばらく更新が遅れてしまいましたが、今から連続で3投稿、3週間分の読書会の開催記録を紹介された本のあらすじとともに簡単にお伝えします!まずは1週目です!

9/28 読書会

1.銃とチョコレート 著:乙一

一応児童向けの本として書かれているようです(笑)。出てくる登場人物の名前は某チョコレート屋です(笑)。

少年リンツの住む国で富豪の家から金貨や宝石が盗まれる事件が多発。現場に残されているカードに書かれていた“GODIVA”の文字は泥棒の名前として国民に定着した。ある日主人公リンツは、父の形見の聖書の中から古びた手書きの地図を見つけ、その後新聞記者の見習いであるマルコリーニから、「“GODIVA”カードの裏には風車小屋の絵がえがかれている。」という極秘情報を教えてもらい、自分が持っている地図が怪盗ゴディバ事件の鍵をにぎるものだと理解した。リンツは「怪盗の情報に懸賞金!」を出すという探偵ロイズに知らせるべく手紙を出したが…。  続く


2.ロジカル・プレゼンテーション 著:高田 貴久

実用書です。ただ中身はなるべく堅苦しくならないような会話調の文章になっています。とある企業の新規事業立ち上げにコンサルが参画し他の企業と業務提携を行うまで、が要約した内容に添って描かれており、実用書でありながらストーリーチックな中身です。いくつか気になった部分を抜粋します。


・提案が通ることを前提に物事を発想してしまうと、他責の姿勢となってしまい、自己成長ができなくなる。逆に提案が通らないことを前提に発想すれば、自分が何を努力すればよいかという視点で前向きに物事を発想するようになり、自己の能力に磨きをかける原動力となる。


・「資料を作る」ということは単なる下働きではなく、きっちりと物事を考えるための訓練

・「うまく話せない」のは、「そもそも何を話すべきかが分かっていない」ことが原因


・縦に論理がつながった状態とは、「誰から見ても因果関係が理解できる」状態である。つまり「こうだから、こう」「こうなったら、こうなる」と説明して、ほぼ万人に理解される状態ということだ。横に論理がつながった状態とは、「誰から見ても全体がカバーされていて、漏れもダブりもない」という状態である。つまり「これは、これとこれ」と説明して、ほぼ万人に理解される状態ということだ(これが、いわゆるMECEである。Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)。

・本当に論理的な人は、相手が誰であっても話を理解させることができる。あなたがもし「自分は論理的なので、論理的ではない相手とは話が通じない」と思っていたとすると、それはじつは、本当の意味ではあなたは「論理的」ではないということなのだ


・主張が「論理的に正しい」からといって、「相手が納得する」とは限らない。相手が納得しない理屈を必死でこねることを「論理のための論理」、あるいは「屁理屈」という



・「相手の要望の理解」というのは、きわめて感覚的なスキル、つまり「相手の顔色やその場の雰囲気、過去の経緯、会話の流れなどのなかから、なんとなく察知していく」というアナログ的なスキルだということ



3.どこでもないところからの眺め


The 哲学書といった感じの本です。本書で取り上げる問題は「個人的な見方と客観的な見方はどうつながるのか」、という点です。世界の内側からみる自分なりの観点と、その観点も含め、同じ世界を客観的に一望しようと する見方がある。これらの接点はどこにあるのか?この二つの立場を調停するのは難しい。本書では、哲学的といわれる問題の数々を探りながら、この争点の素性を調べてゆく。誰もが納得できるような着眼点を提示する。そして主観からの眺め と客観からの眺めのそれぞれ最も強固な形態を並べることによって、可能であれば統一し、それが無理でも本質に達成できない双方の和解を試みる。というもの。


一つ大きなテーマとなっているのが、「客観性」です。受験時代、現代文でよく目にした人も多いのではないでしょうか?(笑)。本書ではこの「客観性」について深く掘り下げて考えています。



・客観性とは理解するための一つの方法である。本来客観的なのは信念や態度であり、事実が「客観的」 と呼ばれるのは、それが客観的な方法によってたどりつく性質のものであるときである。



客観的な理解を手に入れたい

当初の見方から距離を取る

見られる世界との関係をも取り込むような新たな世界の見方をつくる


つまり、理解しようとしている世界の内側にこの自分を置きいれるということが「客観的」に他ならないと言っています。真に理解できる方はどれくらいいるのでしょう(笑)。興味のある方は読みふけってみて下さい。



4.空中ブランコ 著:奥田 英朗

この小説は5つの短編小説で構成されていますが、大まかな話の流れは大体同じになっています。

  1.  問題を抱えた患者が『伊良部総合病院』を訪れる
  2.  神経科にそぐわない診察を受ける。
  3.  なんやかんや理由をつけてビタミン注射をうたれる。
  4.  患者は次第に伊良部の奇妙な言動に逆らう気力をなくし、なんとなく通院するようになる
  5.  伊良部の言動に振り回され、問題がさらに大きくなることも←
  6.  ただし最後はハッピーエンド

伊良部は30代後半の中年の医者なのですが、その言動がとにかく幼稚で、5歳くらいの子どもが親にたいしてするような言動を患者に繰り返す。見た目は大人、中身は子ども。コナン君の反対の存在です。



中年の太った男が子どものように接してくる姿を想像すればその奇妙さが分かるでしょう 笑変な言動はしつつも伊良部は実は凄腕の精神科医で、他の精神科医ならやらないような突拍子のない方法で患者の病気を次々と治していくという感動のストーリー…なんてことはまるでなく、伊良部は最初から最期まで子どものような言動を繰り返すばかりでまともな治療は一切しません。睡眠薬を出してほしいという患者に間違えて整腸剤を出して『あはははっ』と笑っているほどで、はっきり言ってヤブ医者ですが、どういうわけか彼の診察を受けた患者はまともな治療を一切受けていないのに抱えていた問題が解決していってしまいます。


そしてその流れがどの短編も感動的で、読み終えた時には清々しい気持ちにさせられます。薄く読みやすいので普段小説を読まない方にもおすすめです。


伊良部のわがままかつ非常識な言動に笑わせられ、時に呆れ、それでも最後は温かい感動に包まれる。



5.女子をこじらせて 著:雨宮まみ


「こじらせ」という言葉は最近よく使われていますよね。その発端の一つとなったのが本書です。女性でなくとも男性であっても絶対読みたくなるような内容です(笑)。ぜひ目次を見てみて下さい(笑)。


さて、本書は、「こじらせ女子」という言葉。検索すると「自分の女子力に自信がなく女子的魅力をアピールできない人」的な定義とかが出てきますが、それだけ読んでも分かりにくいですよね。「こじらせる」は辞書的な意味だと例文として使われるのが「風邪をこじらせる」ってのが一般的で、「病気を治しそこねて長引かせる」って書いてるあります。よってつまりは「治しそこねて長引かせる」ってことであって、それを「自分の女子力に自信がなく女子的魅力をアピールできない」ことが長引いたまま大人になってしまった…という意味に捉えることができるわけです。本書でも大人になったはずなのにどこかあか抜けない中でもがくといった、若い世代であれば誰もが経験するような描写が多く出てきます。その中に女性特有の心情の変化などが見て取れる内容になっています。



いかがでしたでしょうか?
次回も読書会で実際に紹介された本を簡単に紹介していきます!ご覧頂ければわかる通り、本のジャンルは問いません!ぜひ一度自慢の一冊をお持ちください!

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